人と接するのが苦手な人は少なくない。
多分、昔から日本人の多くはコミュニケーションが苦手だったと思う。
その昔、大多数が部落で生活していた頃、多くの人は百姓として、ほぼ一生を一つの集落で過ごしていた。
そもそも、知り合い以外とのコミュニケーションは必要なかったのだ。
黙々と様々な作業をこなし、日々を終えるDNAが生き残ってきたはずである。
また、百姓とは百の姓を持つ程に様々なことをしていた意味もある。
詳しくは、
百姓の語源とは:百姓を詳しく知りたいならコトバンクを参照
百姓の仕事とは:DASH村を参照
ある意味、用務員の仕事は百姓に近い。
日々、様々な仕事もあれば、雨の日に一日中待機なこともあり、今時には珍しい晴耕雨読を地で行くような仕事でもある。
では本題に入りたい。
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コミュニケーションは必要なのか?
用務員の仕事を行う上で、コミュニケーションはやはり必要である。
但し、必要最小限の話だ。
少なくとも人は社会の中で生きるのだから、何らかのコミュニケーションは必要である。
お店で何か頼んだり、病院で医者にどこが痛いなど伝えるのもコミュニケーションであるからだ。
用務員に必要最小限のコミュニケーション能力はその程度である。
ただ、誤解してもらいたくないのは、コミュニケーション能力が無いよりも、あった方が何かと良いと言うだけである。
これは頭で考える事ではないし、無理に克服するものでもない。
もし、あなたがコミュニケーションが苦手なら、コミュニケーションが少なくてもやっていけそうな仕事を選ぶ方が理にかなっている。
ゴルフのショットでボールが右に曲がる癖があるなら、初めからその誤差を入れ、左にめがけてショットを打つのと同じだ。
あなたの癖は、あなただけのものである。
それが個性なのだ。
用務員に必要なコミュニケーション
用務員に必要なコミュニケーション能力は多くない。
もちろん、挨拶程度は必要だ。
実際、コミュニケーションが苦手で用務員になった者もいる。
結局な話、用務員の仕事そのものにはコミュニケーション能力はいらないし、またコミュニケーションしたければ、教員も
ただ職種上、校長、教頭とは業務連絡はとる。
だが、それも一日の中の10分程度だ。
その他は雑談だが、嫌なら用務員室で片付けのふりしでもしとけば、無闇に話かけられることもない。
しかし、雑談もまた様々な気付きを得る。
だから雑談も無駄ではないのだ。
人によっては、教員と用務員は同じ職場の仲間だから同等にコミュニケーションが必要だと言う用務員もいるが、好きにすればいいだけの話である。
用務員に必要な最低限のコミュニケーション能力とは
一般的に用務員の仕事の基本は、管理職から指示されたことを遂行することである。
それ以外を我流で行うと、様々な問題が発生する場合が今の社会である。
例えば、用務員が良かれと本棚を勝手に作ったとする。
しかし、その本棚が子供が倒し怪我をした場合、当然ながら管理職(校長)の指示なしに本棚を設置した用務員にも問題の矛先が向くこともあるのだ。
管理職によっては用務員を擁護する者もいるし、また激しく怒る場合すらある。
後者は少ないが、そのような事例もゼロではないのだ。
学校とは校長が全責任を負う。
そのため、管理職(校長)とのコミュニケーションは不可欠である。
加えて、自分が出来ることと出来ないことをしっかりと伝える事が最も現場では大切である。
まずは自身を伝えること
管理職はあなたの能力を全て知らない。
どこまで指示が出来るか、実は管理職も手探りなのだ。
もし、あなたの能力を超えた指示をし、事故が発生すれば管理職の責任になる。
あなたはあなたで、怪我をしたり人を傷つければ、アンハッピーに他ならない。
お互いハッピーにするため、そのような本音ベースのミュニケーション能力は必要と言えるだろう。
仕事の能力は試験ではない
あなたの能力を無駄なく発揮させられるかだけだ。
それは管理職の能力と責任であり、あなたはそれに備える事が責任になる。
勤務評定よりも、まずは自分に正直になることをまずは勧める。
結果的にあなたの個性を発揮させるだろう。
あなたの健闘を祈りたい。
編集後記
今回の記事を書くにあたり、自身についても様々な見直しがあった。私は元々コミュニケーションが苦手な方ではなかったが、最近は体調不良が続いたこともあってか、以前に比べて出来るだけ人とは交わらなくなってしまった。
そのせいか、無駄口を叩く連中よりも、コミュ障と言われるような若者と話す方が楽だ。
個人的には、彼ら彼女らの考え方に共感できることがとても多く、学ぶことも多い。
つい数年前までは、どちらかと言えばギラギラな 連中と話す方が楽しかったが、年齢や経験によっても、人は日々変わるのだろう。