人は勤め人になると、日々の時間は(会社)が消費する。
会社(役所を含む組織)とは人生の時間をを換金する装置である。
当然ながら買取であるため、本来の価格よりも安く買い取られている。
つまり、人は人生を切り売りしながら、生きながらえているとも言える。
それが幸か不幸かは個人差もある。
だが、たかが仕事によって、人生を潰す事は本末転倒だろう。
働く理由は様々ではあるが、自身の目的の達成と生活の質の向上とは、仕事のみを基準にしない角度から見る事も大切だ。
今回の話は用務員とは直接関係はないが、働く意味について今一度考えたい。
もし、あなたが今の仕事に精神的や肉体的にに疲弊しているなら、今回の話が何らかの足しにでもなれば幸いである。
また、後半では用務員という仕事に就く事で得られる時間的なメリットについて語りたい。
今回は長文になる事を先に伝えておく。
では、本題に入ろう。
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宿命は変えられない
今の社会の基本的なシステム(年寄り的な考え方を含め)とは、今更言うまでもないが、
- 誕生
- 就学
- 就職
- 退職(年金)
- 老後
- 死
山で降った雨は、最終的に海に出ることで完結される。
川の流れが時間なら、人生の時間とはその川の上に浮かぶ舟の上のだ。
上流から出発(誕生)して海(死)に出るまで時間に過ぎない。
人によっては生まれた時から、雨風しのげる個人の大型クルーザー場合もあれば、乗り合い舟だったり、また最悪の場合、泳げないのに川を流されてるかもしれない。
その一方、クルーザーを所有しつつも、操船が未熟なため、淀みや浅瀬にはまるなどもあるだろう。
方丈記の無常感ではないが、スタートラインは不公平でもある。
それは宿命であり、自身の努力でどうにもできない。
一方で、努力で変えられる運命もある。
文字通り運命とは、自らの意思で命を運ぶことだ。
勤労の本質とは何か?
それぞれ様々なスタートを切る訳だが、一方、働かずに生きるニート等も存在する。働かないと生活できない者から見れば、ニートなど腹立たしい存在かもしれない。
そのため、会社にも行かずに生きるニートは社会から厳しい目線が向く。
だが、それは前段で言う宿命の部分であり、彼ら彼女らは働かなくて生きられる条件があるだけの話だ。
不正受給や年金未納なら問題だが、親の援助や資産からでも出しているなら、その文句もただのただの僻みにしか聞こえない。
まt、勤労の義務を果たしていないとニートをやり玉に挙げる者が多い。
しかし、そもそも勤労とは何か?
大切な点が欠落してる気がする。
納税がこそが目的
専業主婦の税制について度々問題になるが、ニートのような目線を向けられる事は少ない。主婦と勤労女性の内ゲバになりやすい話だが、夫が会社で働き、そのサポートを妻がしていた単純な時代には、非正規社員も派遣社員も殆ど存在しなかった。
つまり、正社員が殆どで、課税も簡単な時代でもあった。
それが一変、非正規社員のような形態が増えれば、当然ながら収入は把握しにくい。
しかし、生きている以上は何らかの消費はする。
そこに税金を掛ける事を考えたのは自然の流れだろう。
勤労義務が強調されるのは納税のためである。
もちろん納税があるからこそ、社会システムが動くに他ならないし。
また、ニートのような人種が増えると社会的に消費は減る。
会社に行けば、嫌でもなにか消費するものだ。
お世辞でもエコとは言えない無駄な消費システムによって、今までの社会を循環させている。
既得権者から見ると、若者は協調性(消費性向がない)がないと見てるようだが、単に当たり前のレベルになっただけだ。
しかし、その貪欲さによって、今の電力網や通信網があるのも事実である。
これもまた、先人の納税によって作られたものだ。
そもそも、お金とは人が交わる場面で必要になる。
人がいない世界では、紙幣なら単なる紙でしかないだろう。
お金は働きのストックしたもの
人と人が交わり、大きな生産的な事を行うには、「働き」を「お金」という道具に変換させる必要になるからだ。
その結果、働きの一部を社会基盤へ再投資をするため納税することで、生活が便利になった。
水道や下水、ゴミ処理など、日常のインフラがなければ、そもそも働きに行くのも大変だろう。
製鉄所も鉄道も民営化したが、元は国営だった。(様々な問題もあったが)
税金の使い道云々は本題から逸れるので省略するが、勤労や納税とは生活の質の向上を形にしたものだ。
それが勤労の一つの意義でもあるだろう。
税金を取られたと思うか、それとも投資のために納めたと思うかは、あなたの考え次第だ。
しかし、「やった」「取られた」と思うネガティブなスタンスからは、生産的な発想をは生まれにくいし、人生を楽しく過ごしたいと少しでも思うなら、良い部分を知ることも大切だろう。
余裕時間の大切さ
先にも述べたが、勤め人とは時間の切り売りで生きている。資産が無ければ尚更だ。
ただ、パッケージ化された仕事を続けると、多くの生活の事柄は金銭で解決する。
だが、一見便利になるようで、実は便利になるためのコストがまた必要になる。
その結果、消費のスパイラルに落ちる。
同じ仕事をすると、同じような人種が集まる。
すると、その傾向は更に強くなる。
一見便利だが、それが自身に対し、本当に便利(必要)かは次第に麻痺する。
その結果、自身について考える時間を十分に持とうにも持てなくなり、生活コストばかり上昇することになる。
一流の会社に入り、高額の給料を貰って破産するのもこのタイプだ。
仕事は選ぶこと
様々な体験を積むだけが前提なら、仕事は選ばないほうがいい。だが、それ以外なら、自分の条件を優先すべきである。
人生の時間は、時間は買い戻しがきかないからだ。
後で後悔しないためには、考える時間は不可欠である。
そのための手段として、時間的余裕が作れる最小限の生活にすることから始めないと、実際には前には進まない。
何かを考えるとき、立ち止まることも大切な投資行為である。
時間こそ、お金より大切な資産かもしれない。
お金は貯まらないもの
ある程度、自由に生きるには経済的な自由が必要である。
一般的には、お金を発生させるビジネスを持つか、少量のお金で生活するミニマリストになるかだ。
資産家の多くは現金を所有していない。
その代わり、現金を産む資産を保有している。
少量でも株などを持つと理解しやすいが、株式を保有すると配当がある。
配当はその時の相場に連動するので、現金とは違う価値がある。
また、ミニマリストは必要最小限で生きている。
よって、一般的な家や自動車の所有のような大きな固定費への出費がない(または極めて少ない)ので、物価変動時の生活への影響は少ない。
固定費リスクが少ない分、嫌な仕事を無理せず続けなくても生活できるレベルをキープしてるなら、他の人よりも失業リスクも低い。
その結果、精神衛生上、健康的な生活が送れるだろう。
上記のタイプの肝は、単なる蓄えではなく増殖か低消費化に主体を置いてる事である。
もちろん、ある程度の蓄えはあった方がいい。
だが、それだけでは十分ではない。
だが、それだけでは十分ではない。
説明するまでもないが、経済状況によって、お金の価値は下がることもあるからだ。
近年では、2010年頃と比べるとわかるが物価は上がった。
同じお金でも買える量が減ったと言う事は、価値が無くなった事を意味する。
そのような事は意外にも頻繁にある。
よって、生活防衛には、貯蓄だけで安泰とは言い切れないのだ。
結果的に、どのような経済環境でも生きるための多様なスキルが必要になる。
失う物が多いほど、それを守るためのエネルギーも必要になり、それが原因で益々疲弊するようなら、そもそも持たない方が良いのかもしれない。
結果的に、それが精神の健康を阻害するからだ。
多様なスキルと言っても、資格取得と言うことではない。
資格すら突然不要になる時代であるし、資格とは情報が少ない時代の知識検定の色合いもあった。
今なら何かを学ぶにしても、下手な教師よりYouTubeの方が質が高い始末である。
少なくともスキル(技術)は、一番教えるのが上手い人から学ぶのが一番である。
また、今後の自動車やドローンの自動制御、AIの発達のスピードは加速する。
最終系は社長はAI、社員はロボになるかもしれないが、それにはまだまだ時間はかかる。
だが、その可能性があると言うことは、今後は多くの企業で、業務改善の一環として、様々な部門の人員削減の可能性が高くなりつつある。
そのうち、AIのテレフォンオペレーター話して気が付かないかもしれない。
やはり、消える産業や業種も増加するだろう。
その結果、労働力がだぶつき、人件費の相場も下がる可能性も出るだろう。
ちなあみに用務員については自動化は難しい仕事の一つである。
しかし、今後は溢れた人間の受け皿になれば、用務員の仕事もコマ分けされて外注化が進むだろう。
人が溢れれば、行政は失業対策として昔から同じような対策事業を繰り返している。
その時、前段のような給料依存型の生活だと、大きなダメージを受けることになる。
AIとロボの出現なら、公務員も例外ではなくなるだろう。
大きな労働力のデフレが発生するからだ。
その中で、収益(お金)を得るには、お金の持つ本質に近づくしかない。
お金は人がいて、その価値が生まれる。
最終的にお金を出す出さないは、人の価値観に他ならない。
営業関連の話で聞く、「普通の営業マンは物を売る。しかし、優秀な営業マンはストーリーを売る」これこそが、お金の本質だろう。
人の心を動かす事は、生きる上では重要だ。
物を売るだけでなく、自分の意見を通す場合にも必要なのは言うまでもない。
これは営業とは関係がなさそうな公務員にも当てはまり、コミュニケーション能力が必要なのは、そういった理由がある。
失う物が多いほど、それを守るためのエネルギーも必要になり、それが原因で益々疲弊するようなら、そもそも持たない方が良いのかもしれない。
結果的に、それが精神の健康を阻害するからだ。
本質への回帰
多様なスキルと言っても、資格取得と言うことではない。
資格すら突然不要になる時代であるし、資格とは情報が少ない時代の知識検定の色合いもあった。
今なら何かを学ぶにしても、下手な教師よりYouTubeの方が質が高い始末である。
少なくともスキル(技術)は、一番教えるのが上手い人から学ぶのが一番である。
また、今後の自動車やドローンの自動制御、AIの発達のスピードは加速する。
最終系は社長はAI、社員はロボになるかもしれないが、それにはまだまだ時間はかかる。
だが、その可能性があると言うことは、今後は多くの企業で、業務改善の一環として、様々な部門の人員削減の可能性が高くなりつつある。
そのうち、AIのテレフォンオペレーター話して気が付かないかもしれない。
やはり、消える産業や業種も増加するだろう。
その結果、労働力がだぶつき、人件費の相場も下がる可能性も出るだろう。
ちなあみに用務員については自動化は難しい仕事の一つである。
しかし、今後は溢れた人間の受け皿になれば、用務員の仕事もコマ分けされて外注化が進むだろう。
人が溢れれば、行政は失業対策として昔から同じような対策事業を繰り返している。
その時、前段のような給料依存型の生活だと、大きなダメージを受けることになる。
AIとロボの出現なら、公務員も例外ではなくなるだろう。
大きな労働力のデフレが発生するからだ。
その中で、収益(お金)を得るには、お金の持つ本質に近づくしかない。
お金は人がいて、その価値が生まれる。
最終的にお金を出す出さないは、人の価値観に他ならない。
営業関連の話で聞く、「普通の営業マンは物を売る。しかし、優秀な営業マンはストーリーを売る」これこそが、お金の本質だろう。
人の心を動かす事は、生きる上では重要だ。
物を売るだけでなく、自分の意見を通す場合にも必要なのは言うまでもない。
これは営業とは関係がなさそうな公務員にも当てはまり、コミュニケーション能力が必要なのは、そういった理由がある。
もはやレールは存在しない
私も含め、普通の人はそんなに楽することは中々出来ない。
しかし、自分が進みたいと思う道に、少しでも近づきたいものだ。
そのためには一歩置いた、考える時間と先を読む時間は必要である。
時間と言っても、昼休みとか寝る前の極超短時間ではない。
しかし現実面では生活費も必要であるから、無職で過ごせる条件の人もすくないだろう。
それに、無職で過ごせるなら、このブログは読んでいないだろう。
用務員に限らず、給料は安いが時間がある仕事も探せばある。
もちろん給料が安い分、一般的に比べ欲しい物も買えないかもしれない。
しかし、人と同じ行動をしても、あなたの幸せが買えないのは、あなた自身が一番知っているはずである。
心の健康は金を出しても買えないものだ。
流れに乗る事
昔は舗装路が少なく、海運航路や鉄道輸送が主体だった。
その後、高速道路網でトラック輸送が主体変わった。
それと同じように、道路、航空路と拡散したように、今後の社会も大きく変化する。
もちろん、公務員だから安泰などない。
このブログでも正規の公務員になる事を勧めてはいる。
だが、それは次へのステップの手段としてである。
業種にもよるが、公務員(特に用務員)は、比較的に規則正しい生活がしやすい。
精神的に余裕が生まれ、より自身が進む道を見直す時間を作りたいならば、非正規の用務員になることも、また一考だろう。
仕事の心配よりも、お金に振り回されないための生き方こそ、普遍の価値があるかもしれない。
編集後記
今回の記事は、人によっては不快感がある部分もあったと思う。
しかし、現状を客感的に見ると、人手不足問題から自動化に大きくシフトした。
東京五輪の頃には、オリンピックの選手村と競技場、地方の田舎路線のバスの自動運転のテストが始まると言われている。
また、自動音声入力の膨大なデータとAIによって、様々な音声サービス(通訳を含め)
も自動化されそうである。
その時どうなるか、誰にもわからない。
だが、産業革命やIT革命で新しい仕事も生まれたのだから、それほど悲観するような事はないだろう。
その時に、あなたが望む道に進める事を祈りたい。